阪神大震災からの再生を果たした宮地病院の高齢者医療福祉施設の第3段、本院からは車で30分の位置にある人工島ポートアイランド内に完成した初めての介護老人福祉施設(特養)と在宅支援施設である。神戸市による民間事業者の公募に応じ、新規に社会福祉法人を設立、計画されたものである。

神戸市から提供された土地は残念ながら、広大な市営臨時駐車場の一角であり、超高層のマンションが見える街区の果てといった敷地であった。このアスファルトだらけの街区を新しい地域の福祉・医療を担うゾーンとして作り上げ、「ぽー愛」がその核になり、居住者はこの地域と共に生きるべきであると考えた。我々は新たなまちづくりから考え始める必要を感じた。

玄関前の大きな広場、円形ホール、デイサービスのエントランスロビー、そして南側の庭は連続した円形を重ねながら、この街区の中心に誘い込むことを意図している。そしてこの異人館に代表されるエキゾチックな街、神戸らしさを感じる素材を利用して、海に浮かぶ帆船をイメージできるファサードを用意し、利用者がアイデンティティを表現でき、家族が訪れたい、地域の中で親しまれる「家」でありたいと考えた。

ユニットケアの基本は利用者の個性の尊重である。当時は施設基準化されていなかったが、居室の基本は個室とした。この場合、限られたスタッフ数で十分な介護を提供できるかが問題となってくる。十分なプライバシーを確保することが、かえってサービス低下という結果を招くことも予想されるからである。そこで個室の入り口が複数向き合うような構成を基本にし、叶わない場合は居室が直接ダイニングに面する形でユニットをプランニングした。「家」にはそれぞれ、単独の玄関とキッチン等が用意されている。こうすることでユニットケアに相応しいスケールの空間をつくることができ、お年寄りもスタッフもお互いを何気なく感じ、安心できる関係の「家」となった。

また、十分な専門スタッフ数を配置できない場合にも、常にスタッフがお年寄りの近くにいられる環境を用意するため、光庭を中心に3つのユニットを連続的に配置し、そのほぼ中央にスタッフコーナー(汚物処理、リネン、倉庫共)と3ユニットの共有の風呂を用意した。こうすることでユニットの閉塞感を解消することにも役立つと考えた。

そして家と家をつなぐのが路地・街路(廊下)である。それに暖簾の掛かった湯屋(浴室)や広場(機能回復訓練室・談話コーナー)電話ボックス、駅(エレベーターホール)等様々なまちの機能がぶら下がり、「まち」を構成する。やがてテラスや吹抜のホールを介して本物の地域と繋がっていく空間構成を用意した。利用者は地域の居住者であり、そのコミュニティに積極的に参加していくべきである。

掲載誌

  • 会誌 『病院建築』 No.135 (2002.4)
  • 雑誌 『日経アーキテクチュア』 2002年5月13日号(2002.5)