鳥瞰全景

私と癌研との出会いは40年前に遡る。私が入社したのは1961年初頭で、事務所が共同建築設計事務所と改称して間もない時期である。その頃、癌研付属病院の仕事は、病院設計の第一号として、既に全体像が固まり詰めの段階に入っていた。私の仕事は、各部の詳細設計のお手伝いであった。当時、東銀座にあった病院との打合わせに足繁く訪れたことを鮮やかに記憶している。高度な専門病院の設計など未経験の私は、やがて工事監理に常駐するが、五里霧中ながら、諸先輩のご指導や文献を頼りに、63年夏の完成まで悩みかつ学び、そして貴重な体験を得ることができた。それは、後の、私の少なからぬ医療施設との係わりに役立つ原点となった。その後、検診センター、RI施設、化学療法診療棟(74~77)など、主として病院の仕事に携わった。この間、建設委員長を務められた梶谷副院長(後の病院長)には公私ともにお世話になったし、時は前後するが、吉田富三研究所長、黒川利雄病院長(共に文化勲章を受章された)にしばしばお目にかかり、含蓄あふれるお言葉に触れたのもこの頃である。黒川先生には胃の診断を受ける機会もあった。多くの方々とご厚誼を培うことができた想い出深い一時代である。10年程前、施設拡充のための増改築とリニューアルの計画に携わったが、財政事情の悪化により実現が見送られる事となった。

外来待合ホール

特別病室

(第一期)基準階病棟平面図

時が移り、いま癌研は、新たな地平を求めて、湾岸の地に移転事業を展開しつつある。われわれは、事務所の歴史に一頁を飾った癌研の新生に参画できないのは一抹の寂しさを禁じえない。今は、癌研の新施設における一段の発展とその成果を期待するばかりである。
網代友衛

 

(2001発行 社外報Vol.5より抜粋)

東京都豊島区/1963.07

写真撮影:Ch.HIRAYAMA